ランボルギーニ ミウラ P400SV 1971
ランボルギーニ ミウラ P400SV ( Lamborghini Miura P400SV 1971 )
イタリアを代表する自動車メーカーで、1970年代の「スーパーカー」のブームで一世を風靡した「ランボルギーニ」から、ランボルギーニ ミウラのご紹介です。
スーパーカー時代を象徴する車としてランボルギーニ・カウンタックがありますが、ミウラはカウンタックの前身となるモデル。
ランボルギーニ初期を代表するモデルで、2シーターミッドシップスポーツカー。
伝説の闘牛牧場であった、スペインの闘牛牧場ミウラの名にちなんで命名されています。
ランボルギーニは、トラクターの製造販売やエアコンなどの事業で大成功を収めたフェルッチオ・ランボルギーニが、フェラーリにへの対抗として1963年に興した自動車メーカー。
ランボルギーニ ミウラは、ランボルギーニの名を一躍世界的に有名にしたモデルで、前例のない、12気筒の大排気量をミッドシップに積んだクルマとして発表されました。
当初1965年のトリノ・オートショー(11月)で発表されましたが、その時はシャシー、エンジンのみのボディレスという状態での発表でした。
翌1966年3月のジュネーブショーで、期待のかかった4L V12をミッドに載せ、ボディを架装し発表されるや、当時、デザイン・製造を手掛けていたベルトーネに就任したばかりのマルチェロ・ガンディーニによるその流麗なスタイリングが注目を集め、オーダーが殺到。
その状況もあり、ミウラは1967年から製造体制が整備されるものの、ハンドリングやノイズ、冷却性能など、幾つかの問題点を抱えたままであり、オーダーを抱えたランボルギーニは止む終えず生産をしながら改良を加えて行きました。
ミウラは、見た目の流麗さと美しさとは裏腹に、名前の由来通り、闘牛のように荒々しい車でした。
今回ご紹介している、P400SVモデルは、1971年から製造された最終改良バージョンのモデルです。
“SV”は”Sprint Veloce”で「より速い車(にチューンされた)」という意味で使われています。当初の設計目的がこのSVでようやく達成したと言われており、ミウラと言えばこのSVこそが本物だと言う評価が多いです。
それ以前のバージョンと外見上の大きな違いは、ヘッドライト周りの睫毛(まつげ)状のグリルがなくなりシンプルになった点が挙げられます。
エンジンは、3.9L V型12気筒。パワーは、P400SVは、385HP。なお、P400は、排気量約4Lを表しています。
5速のマニュアルトランスミッション。
1967年から改良を続け1973年まで製造されたランボルギーニ ミウラ。
ミウラの製造台数は全体で約750台程度でした。